Shichirigahama Town Community

三十年の回顧

三十年の回顧
足名 敏宏

昭和43年3月に七里ガ浜の丘陵の開拓地に居住してよりこの三十年の年月は、私にとっての人生で1番早く過ぎ去ってしまった感がします。この地で、嫁した娘の孫の曾孫も来年は幼稚園です。
当時は戸数も少なくて空き地の方が多く、晴れた日には富士の姿が眺められました。夜間は街路灯もなく闇の中を懐中電灯をもって夜道を歩いたものです。
当時防犯委員の高山酒店主の努力で防犯灯が設置されました。
また建築中の現場の焚き火の残り火が空き地の枯れ草にうつり燃え広がることがしばしば発生致しました。
当時49歳であった私が会長に選出されました。私は治安対策として所轄官公署である鎌倉消防署長より不在地主に対し、枯草除去勧告命令書を下付してもらい、不在地主に通告し自治会にて急いで処理致しましたが、一般会計担当の鳥養太一郎さんには大変ご苦労をかけました。(編集・註 枯れ草対策特別プロジェクト総括担当の松本啓一郎さんから、途中で鳥養さんに引き継がれました)
鎌倉警察署長には駐在所の設置されるまでの臨時処置として各所に警察官立ち寄り所を設け、警察官の巡回をしてもらいました。
神奈川県県警察本部、鎌倉市長、教育委員長に訪問面接の上、小学校建設まで児童の編入学許可を認めさせ、郵便局の設置は東京郵政局に申請書を提出などの渉外折衝を我武者羅に行動の毎日でした。
夜間は連日自治会組織構成と会則の審議と落ち着く暇もありませんでした。
現在は自治会館をはじめ全て設置され、歴代の役員の活動努力に敬意を表します。
先般お届けした旧自治会館の木造建ての起工棟上式の写真を見て、会館の無償建設とテニスコートの設置の承諾を得るまで西武不動産には大変苦労致しました。
今何より感謝致しておりますことは、循環バスの開通は老人にとって有難く、下車のたびに有り難うと言葉が出ます。運転手と心のふれあいはこの循環バスだけでしょう。ますます住みよい街となることでしょう。

戻る